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少女の恋心が引き起こした火事

今回は、少女のせつない恋心が引き起こした有名な火事についてのお話です。

恋心が炎となった「振袖火事」

以前にご紹介した、明暦3年(1657年)に本郷丸山の本妙寺から発生した「明暦の大火」。
この火事は「振袖火事」とも呼ばれ、不思議な逸話が伝わっています。それは、恋の病で亡くなった娘の振袖が出火原因になったというもの。
話の詳細は様々ですが、広く伝わっているお話をご紹介します。

届かない想いが振袖に宿る

上野の神商大増屋の娘おきくが、花見に出かけた先で美しい寺小姓に一目惚れしたのが物語の始まり。おきくは、たった一度会っただけの美少年を忘れられず、彼が着ていたのと同じ模様の振袖をつくってもらい、寝ても覚めても想い続けます。
やがて食事ものどを通らなくなり痩せ衰えていったおきくは、とうとう16才の若さで命を落としてしまうのです。嘆き悲しんだ両親は娘を不憫に思い、棺にその振袖を掛けて本妙寺に葬りました。寺では法事が終わると、しきたり通りに振袖を古着屋へ売りました。


この振袖を麹屋の娘おはなが気に入って両親に買ってもらいますが、翌年、おきくと同じ16才で病死します。振袖はまた古着屋を経て、次に質屋の娘おたつの手に渡りました。しかし彼女も振袖を手にした翌年、またしても16才で亡くなってしまいます。そして本妙寺でおたつの葬式を行っていたとき、それぞれ法要に訪れていたおきくとおはなの両親が、おたつの棺に掛けられている振袖を目にします。同じ振袖を手にした娘たちが、同じ歳で亡くなっていることを知った3家の親たちは、奇妙な因縁が恐ろしくなり、住職に相談。振袖を供養して焼き払うこととなりました。それが、明暦3年1月18日のこと。住職が読経しながら振袖を火の中に投げ入れると、突如として強風が巻き起こり、火の付いた振袖が空高く舞い上がりました。そして飛び散る火の粉が本堂に燃え移り、その火がどんどん燃え広がって江戸の町を焼き尽くしたのです。なんとも信じがたい話ですが、今に伝わるほど江戸の町を賑わした話であったことは間違いありません。

八百屋の娘が引き起こした「お七火事」

少女の恋が発端となった火事として最も有名なのは、八百屋の娘が放火した「お七火事」です。 ことの始まりは、天和2年(1682年)の大火。八百屋の娘お七は火事で焼け出され、家族で円乗寺に避難します。そこで出会ったのが、寺小姓の吉三郎。ひと目で恋に落ちますが、家が再建されて寺を出ることとなり二人は離ればなれになってしまいます。会えない日々が続くなか、吉三郎を忘れられないお七。会えないからこそ恋しい気持ちは募るばかりで、「もう一度、家が焼ければ吉三郎に会える」と考え、とうとう家に火をつけてしまうのです。
恋をすると平常心ではいられなくなるものですが、お七の場合、純真な少女だったからこそ思い詰めてしまい、放火という大それた行動を起こしたのかもしれません。
放火の重罪を犯したお七は、捉えられて鈴ヶ森で火あぶりの刑に処されます。当時の江戸では放火犯が若い娘であることが話題となり、処刑場には大勢の人が押しかけました。
お七が処刑された鈴ヶ森の近くにある密厳院には、お七を供養する「お七地蔵」が建立され、今も文化財として残されています。 一方、お七の恋の相手である吉三郎は、事件を知って自害しようとするも果たせず、出家してお七の菩提を弔ったと言われています。
歌舞伎や文楽で語り継がれる八百屋お七 この恋物語を後に井原西鶴が「好色5人女」に書いたことで多くの人が知ることとなり、一途な想いを貫いたお七の悲恋は人々の人気を集めます。
そして「八百屋お七」は文楽や歌舞伎の題材となり、今なお人気の高い演目として上演されています。


「恋の炎を燃やす」「恋心に火を付ける」など、熱い想いを火に例える言葉がありますが、実際に火が燃え上がったら大変なことになってしまいます。身を焦がすような恋に憧れる人も多いでしょうが、炎に焼かれて身を滅ぼさないように気をつけたいものです。もちろん、軽い気持ちでの火遊びにもご用心ください。

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